2009年06月15日

生の魚を塩漬けにしたり、干物にして用いるもの

もともとの製法は地域によりかなり異なっており、生の魚を塩漬けにしたり、干物にして用いるもの、特定の魚種だけを使う場合や網にかかった魚をみな使う場合、オキアミなどを原料とする場合がある。基本的に、用いる魚の種類によって、大きな魚の場合には内臓、頭、ヒレなどを、アンチョビなど利用価値の低い小形の魚の場合には、丸ごとを用いる場合が多い。

原則として、魚を大量の塩と共に漬け込み、そのまま数ヶ月以上発酵させる。熟成が進むと、魚の形が崩れ、全体が液化してくる。その液化が進んだものを、漉して用いる。熟成の度合いは地域によって異なり、熟成度が少なく、魚の香りの強いものから、熟成が進みチーズのような発酵した匂いが中心のものもある。魚と塩だけで熟成させるものの他に、これに野菜や香草類を加えて味を調えるものもある。

一般に食卓で用いるための製品は純度の高いものであるのに対し、料理用の製品では、これに塩水とグルタミン酸ナトリウムなどを添加している場合もある。

新製法 [編集]
1990年代後半頃から、日本国内で上記と異なる製法で製造されているものもある。伝統的魚醤油は生化学的には魚の内臓自身の持つ消化酵素や混入してきた細菌やカビが分泌する酵素によって魚の組織を分解している。それら液化を行わせるための手段として内臓や混入細菌に頼らずに人為的に酵素や麹を用いて製造する方法が試行錯誤されてきた。1990年代後半には魚醤油開発について報じられたものの、2006年現在はその後の発展を見ない会社もある。

酵素を使用 [編集]
三菱瓦斯化学…マリナージ(製品名) - イワシを酵素分解して作り、食品加工業界で早くから知られている。
クラシック音楽
南極と北極
への付く言葉
ザ・和歌山
産業とは!
世界の演劇
慣用句集
かの付く言葉
七五三
靴に囲まれて
自転車
婦人科
香道
遺伝子疾患
洞窟
ジョギング
債券
クリケット
通訳
アメリカンフットボール

麹を使用 [編集]
カネセフーズ、マルデン、三上水産など - 鮭を主原料にする。
マルゼン食品、TSOスタッフ - ほっき貝を主原料にする。
株式会社びーみ - 鰹の内臓を主原料とする。橋本大二郎知事主導の高知県商品計画機構の一環として製造され、小泉武夫が協力した。しかし、赤字続きだったために2001年度を以って撤退し、現在は入手不可能。

2009年05月30日

月光院

月光院(げっこういん、貞享2年(1685年) - 宝暦2年9月19日(1752年10月25日))は江戸幕府六代将軍徳川家宣の側室で、七代将軍徳川家継の生母。側室としての名は喜世(きよ)が知られる。また局としての名に左京の局(さきょうのつぼね)、叙任時の名に輝子(てるこ)がある。

父は元加賀藩士で浅草唯念寺の住職勝田玄哲、母は和田治左衛門の娘。

初め京極氏、次に戸沢氏に出仕し、後に四代将軍徳川家綱の乳母の矢島局の養子であった矢島治太夫の養女に迎えられた。そして宝永元年(1704年)には徳川綱豊(後に家宣)の桜田御殿に出仕するようになった。

やがて喜世は綱豊から寵愛を受ける。その年の12月には五代将軍徳川綱吉の養嗣に綱豊が迎えられ、江戸城の西の丸に入ることになり、正室近衛熙子や喜世らの側室も西の丸に同行した。

宝永6年(1709年)には綱豊が家宣となり六代将軍に就任。同年7月、喜世は男児(家宣の四男)を出産。鍋松と名付けられた。後の家継である。喜世も左京の局と呼ばれるようになった。この時、家宣には大五郎(家宣の三男)という側室の須免が産んだ子がいたが、宝永7年(1710年)に大五郎が3歳で急逝。その2年後の正徳2年(1712年)10月に家宣が死去し、喜世は落飾して「月光院」となった。翌正徳3年(1713年)、家継に将軍宣下。月光院は従三位の位を賜った。
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大奥で月光院と一緒にいるときの間部詮房のくつろいだ様子から、家継が「詮房はまるで将軍のようだ」と乳母に言ったという逸話があり、また、月光院と詮房は桜田御殿時代からの深い仲であったようだとか、家継の幼名鍋松から、家宣の生前に密通し家継は間部(間鍋)詮房との間に生まれたなどとも言われるが、いずれも俗説で信憑性は低い。

正徳4年(1714年)、月光院の右腕とも言える大奥御年寄絵島が家宣墓参り代参の帰りに歌舞伎役者生島新五郎を宴会に招いて大奥門限に遅れた絵島生島事件が発生した。

享保元年(1716年)、家継は風邪をこじらせて死去した。月光院が風邪を引いていた家継を無理に能楽鑑賞をさせたためとも言われる。その後の八代将軍には、家宣の遺言と言うこともあり紀州徳川家から徳川吉宗が迎えられた。吉宗が延享2年(1745年)に引退の動きを見せると、九代将軍に田安宗武を推すなど、晩年にも影響力を行使しようとしたともいわれる。

そして宝暦元年(1751年)に吉宗の死を見届けた翌年、宝暦2年(1752年)に68歳で没する。法名は月光院理誉清玉智天大禅定尼。

2009年04月26日

コーデックス規格における食用塩の品質

国際食品規格委員会(コーデックス委員会)とは消費者の健康の保護、食品の公正な貿易の確保等を目的として、1962年にFAO及びWHOにより設置された機関であり、世界的に通用する唯一の食品規格であるコーデックス規格(国際食品規格)の作成を行っている。食用塩についてもコーデックス規格を1985年より以下の通り定めている。日本も同委員会には1966年より参加している。

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成分
NaCl純度(乾物基準、添加物除く)=97%以上
副成分
カルシウム・カリウム・マグネシウム・ナトリウムの硫酸塩、炭酸塩、臭化物塩、カルシウム・カリウム・マグネシウムの塩化物=3%未満(NaCl純度からの逆算)
混入(有害)元素
As(ヒ素)=0.5mg/kg以下
Cu(銅)=2mg
Pb(鉛)=2mg/kg以下
Cd(カドミウム)=0.5mg/kg以下
Hg(水銀)=0.1mg/kg以下
ヨウ素添加
ナトリウムまたはカリウムのヨウ化物塩またはヨウ素酸塩
米国等では添加が義務づけられている。ヨウ素の項目を参照。
固結防止剤
カルシウム又はマグネシウムの炭酸塩、酸化マグネシウム、リン酸三カルシウム、二酸化ケイ素、、カルシウムまたはマグネシウムのアルミノケイ酸塩=2%
ミリスチン酸、パルミチン酸、ステアリン酸のカルシウム、カリウムまたはナトリウム塩=2%
カルシウム、カリウム又はナトリウムのフェロシアン化物塩=10mg/kg(フェロシアン化物イオンとして)
乳化剤
ポリキシエチレンソルビタンモノオレイン酸=10mg/kg
ポリジメチルシロキサン=10mg/kg以下
フランスでは一部の天日塩生産者組合連合が、度重なる要請をして、フランス国内ではNaCl純度が94%以上と改正された。

2009年04月10日

ニール・セダカ

ニール・セダカ(Neil Sedaka, 1939年3月13日 - )はアメリカ合衆国のポピュラー音楽の シンガーソングライター。ニューヨーク州ブルックリン出身 。父はトルコのイズミルから移民したユダヤ系のタクシー運転手、母はポーランド/ロシア系移民。娘は歌手のデラ・セダカ。

略歴 [編集]
セダカは幼少期からピアノを習い、同じアパートに住んでいた作詞家ハワード・グリーンフィールドと共同で曲を作り始めた。高校時代には友人たちとポップ・グループ、トーケンズを結成し「ライオンは寝ている」がヒット、その後はジュリアード音楽院で学ぶ。

1958年にコニー・フランシスのために作った「間抜けなキューピッド」が成功を収め注目される。同年にRCAレコードとソロ歌手として契約を結び「おお!キャロル」、「カレンダー・ガール」、「すてきな16才」、「悲しき慕情」などを次々とチャート・インさせ、ポール・アンカと並ぶ全米のトップアイドルとなった。尚、「恋の片道切符」は、歌詞中に「Bye Bye Love」(エヴァリー・ブラザーズ)「Lonely Teardrop」(ジャッキー・ウィルソン)「Lonesome Town」(リッキー・ネルソン)「Heartbreak Hotel」「A Fool Such As I」(ともにエルヴィス・プレスリー)などの当時の全米ポップヒットの題名を織り込んでいることからもわかる通り、もともとは「おお!キャロル」のカップリング用に埋め草として録音された曲で、作曲もセダカではないが、哀愁に満ちたメロディと声質が日本人の心を掴んだため、日本ではこの曲が一番のヒットとなった。

レコード会社を移籍後、ビートルズアメリカ上陸の影響を受け、しばらく低迷期を過ごすが、1974年には「雨に微笑みを」、エルトン・ジョンと組んだ「バッド・ブラッド」が再び全米No.1に輝く。キャプテン&テニールに提供した「愛ある限り」も大ヒットを記録し、完全復活を果たした。この様に才能と実績があるにも関わらず米国の芸能界は厳しい様で、低迷期には他のスターの前座やドサ廻りをやったりと浮き沈みの大きい人生である。

代表曲の「おお!キャロル」のキャロルとは当時ガール・フレンドだったというキャロル・キングのこと。

彼の曲は米国でもヒットしたが、日本人受けがするのか、ほとんどの曲に邦題がついている。

ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームとLong Island Music Hall of Fameに名前が刻まれている。

代表作品 [編集]
間抜けなキューピッド(Stupid Cupid、1958年、ビルボード全米チャート第9位、歌・コニー・フランシス)
Fallin'(1958年、全米チャート第30位、歌・コニー・フランシス)
恋の日記(The Diary、1959年、全米チャート第14位)
おお!キャロル(Oh! Carol、1959年、全米チャート第9位)
星へのきざはし(1960年、全米チャート第9位)
きみこそすべて(You Mean Everything to Me、1960年、全米チャート第10位)
カレンダー・ガール(Calendar Girl、1960年、全米チャート第4位)
恋の片道切符(One Way Ticket、1960年、日本のみでヒット、ニール・セダカの作曲ではない、当時、平尾昌晃もカヴァーしてヒット)
すてきな16才(Happy Birthday Sweet Sixteen、1961年、全米チャート第6位)
ボーイ・ハント(1961年、歌・コニー・フランシス、全米チャート第4位)
小さい悪魔(Little Devil、1961年、全米チャート第11位)
悲しきクラウン(King Of Clowns、1962年)
悲しき慕情(Breaking Up Is Hard To Do、1962年、全米チャート第1位、グラミー賞ロックンロール部門ノミネート、1976年ジャズ風リメイク版、全米チャート第8位、アダルトコンテンポラリー部門1位)
可愛いあの子(1962年、全米チャート第5位)-出だしのスキャットは1968年に日本で流行ったザ・ダーツの「ケメ子の唄」で使われている。
恋のアマリロ(Is This The Way To Amarillo?、1971年、歌・トニー・クリスティ、全英チャート19位、1977年にセダカ本人もレコード発表、全米チャート第44位、コメディ番組の主題歌に取り上げられたこともあり2005年再発売版が全米チャート第1位獲得)
スーパーバード(Superbird、1972年、日本のみでヒット。)
雨に微笑みを(Laughter In the Rain、1974年、全米チャート第1位、外来の音楽がもてはやされ、自分が売れなくなった時のことを歌ったもの)
バッド・ブラッド(Bad Blood、1975年、全米チャート第1位、歌にエルトン・ジョンが参加)
愛ある限り(Love Will Keep Us Together、1975年、歌・キャプテン&テニール、全米チャート第1位、グラミー賞最優秀レコード賞受賞)-バックコーラスに「セダカが帰ってきた」という歌詞が聞こえる。
ソリティア(Solitaire、1976年、全米チャート第12位、歌・カーペンターズ、エルヴィス・プレスリー)
Love In The Shadows(1976年、全米チャート第16位)
Should've Never Let You Go(1980年、全米チャート第19位、娘ダラとのデュエット曲)

サイコロ セリクー クイズ ビアンコ ナビ淡竹 チャーイ バッスル グリーン ナルコ スランプ カナメモチ しおで 満月アナタ ジバン フィーバ ジーメン コシア 虹の橋 透明人間 アスキー プラスタ パイプオ ゲスケル 鯉のぼり ガラシ シーリング スイート ハネムーン 北の旅人 ワイファイ スキッド ビンゲン ション マサキ トンキロ レシー サヘル スリット レッシブ ナイス ブローチ フレー リスト ナビメリノ ジャズ フェンス りっさ サード だむら ターゲット

2009年03月26日

次界卵の力で悪魔という肉体を得た元アンドロイド

月転層 [編集]
ノクスJr.(-ジュニア)
次界卵の力で悪魔という肉体を得た元アンドロイド。全時層の危機に聖魔和合界へと現れる。凶悪魔編に同名のキャラがいるが、勿論何の関係もない。
超大凶魔
かつてタケルと戦った強力な悪魔。現在は平和に暮らしているんだとか。
バット ジュズダマ はないかり マグカップ しょうぶ ブロックバス ゲンスト マジカ カムアウ 国内山芋 スケーラ ゼロサム テナン ヨルムン こだま NEW世界 スカト オポッ フォーク シャンプー カヤック ネイチャー バイト ゲンタマ クヌギ リドール マット キャンバ ランド スリッパ てのひら ムーラン ヌバック リップミル ハーケン 高原の月 きつきみ ブイアイピ リトアニ キニン 笠だけ レサー モント サンザシ あかさ スダイヤ いたけ ツーピース ワカ フィリピン

過去(新紀元和合1960年)の登場人物 [編集]

アレグリア [編集]
聖祝宰ゴドブレス(せいしゅくしょう-)
アレグリアを統治するゾーンヘッド。天使属繁栄と悪魔属根絶を掲げ、数多くの天使属の支持を得ている。穢れを嫌って影すら持たないという根本的な「天使至上」の存在。現超聖神達を嫌い、排除しようとしている。今は失われた理力を操る。
剛昇プロフェード(ごうしょう-)
真天聖軍の「聖翼使(せいよくし)」にしてゴドブレスの聖守。
かつてはイリダールの政務執行官を勤めていたパルージアの聖守だったが、アレグリアの思想に感化されて造反、現在はイリダールの政権を完全に掌握している。陰険な性格で、LOVEサー帝からは嫌われている。一度は勇撃師団によって捕らえられるがゴドブレスに救出される。元々はイリダールのスラム街に住む孤児だった。いつかスラム街を抜け出す日を模索していたが、そこで箱入り娘な幼き日のパルージアと遭遇、その理想も思想も全てを否定する為に政務執政官までのし上がった。そしてアレグリアの侵略を切っ掛けにパルージアを裏切り、その時の悶着で彼女が孕んでいた神の子を死なせる。
LOVEサー帝(らぶ-てい)
真天聖軍の「聖鎧使(せいがいし)」だが、後に降格されて「聖讃使(せいさんし)」となる。悪魔属を強く憎み、またゴドブレスに依存している。だがそれを利用され、後に御聖母とされる。武器のラケッ刀から放つ「0スマッシュ」は命中対象の防御力を0にする能力を持つ。
プラン大賢(-たいけん)
アレグリアで混沌の研究を行う真天聖軍の科学者聖守。研究の名の下に非情を行う。混沌から魔気を抽出し、自在に操る魔清を開発する。
ドリップリマドンナ
LOVEサー帝の友人。アレグリアの住人だがゴドブレスの思想に疑問を持ち、反抗的な姿勢をとっていた。しかし荒引友達を人質にとられてデミアン達を襲う。後に荒引友達が殺された事を知ってデミアン達に協力する。必殺の歌声「射断スキャット」は広範囲を切り裂く強力な攻撃。
シルク八頭神(-はっとうしん)
別次元からやって来た謎の天使。何故か八頭身。真天聖軍に協力している。
荒引友達
ドリップリマドンナの友人で各地を渡り歩く商人聖守。ドリップリマドンナと同じくゴドブレス反対派だったがその証拠を掴まれて真天聖軍に捕まり、プラン大賢の実験体にされて死亡する。
45回天(よんじゅうごかいてん)
真天聖軍の「聖華使」。LOVEサー帝と共に新紀元和合1960年に現れたデミアン達を襲うが、幾度かの戦闘の後にデミアンによって殺される。
悦迅宮(えっじんぐう)
自称「エッジ」。45回天の後を継いで「聖華使」となった。LOVEサー帝のパートナーとなって共に行動する。
マスカラフル
LOVEサー帝に従う「聖魅使」。真天聖軍の生き残りとして虹天紀27年にも登場、集中豪無を探る参考人として連行されるが、集中豪無を語り出した途端に発狂する。
ミネラル魚太(-うおた)
真天聖軍の「聖絢使(せいけんし)」。フラシェル侵入して民衆の不安を煽る秘密工作を行う。死ぬ事無く虹天紀まで生き残っていた。
藩豪推参(はんごうすいさん)
真天聖軍の「聖傑使(せいけつし)」。デミアンを捕らえるべくLOVEサー帝と共にフラシェルに現れる。その後「船の墓場」に逃げたデミアンを追うが、真黒騎士の襲撃に倒れる。
ペチカイロ
剛昇プロフェードの部下で、「炎の牢獄」としての能力を持つ聖守。語尾に「〜ペチ」がつく。真天聖軍ではなく、あくまでもイリダール天使軍に所属。
金剛W巣(こんごうダブルす)
勇撃師団に所属していたがプロフェードに賛同して裏切ったW属。その真意はW仏KINGの理想世界創造の為に真天聖軍を利用しようとしているのだが、プロフェードはそれさえも込みで利用している。

イリダール [編集]
慈帝妃パルージア(じていき-)→鬼望パルージア魔精(きぼう-ませい)
イリダールを統治していた女性悪魔ヘッド。
「赦しの女神」とも称される程の慈悲深い心の持ち主。神の子を宿していたがプロフェードの造反と同時に姿を消して行方不明となっている。幼い頃から次代イリダールヘッドとして英才教育を受け、それ故に穢れを一切知らない無垢な心を持っていた。しかし好奇心からスラム街に踏み込み、貧富の差等といった「聖魔和合の闇」を前に嫌悪感を得た。そして嫌悪感を得た自分自身に驚愕したパルージアは以来それを覆そうと執政を執り行ったが、プロフェードの憎悪とアレグリアの侵略を前に屈し、プロフェードによって妊娠していた神の子も失う。その事に強い絶望と憎悪を得て、しかしそれを制止しようとする心の軋轢に苦しみ、失われた命を取り戻す為に命と心を手放して神へと至るべくミューテリオンの海底に沈み、鬼望パルージア魔精となる。
ギルグリム伝師(-でんし)
かつてプロフェードと共にパルージアを補佐した聖魔守。現在はパルージアと共に神秘ゾーンに逃れ、ビート神殿に隠れていた。そこに辿り着いたデミアン達にパルージア失踪の真相を語る。

勇撃師団 [編集]
探出武者(たんでむしゃ)
勇撃師団の師団長を勤める闇の天使属。千舞道士の師匠。
勇闘サンダー(ゆうとう-)
勇撃師団の見習い天使。後のトーサンダー。戦士の遺伝子の持ち主。
正義感のとても強い性格。一度は理力聖重壁突破の為に戦使の遺伝子を解放して死んだかと思われていたがアンドロココに助けられ、後に魔法を学んで帰ってくる。
蓄音鬼神(ちくおんきじん)
古くから勇撃師団に所属する悪魔。幼い頃のパルージアに「聖魔和合の闇」を話してしまい、彼女が嫌悪感を、プロフェードが生きる目的を得る切っ掛けとなった。
針飛び佐助(はりと-さすけ)
勇撃師団に所属する魔守。真天聖軍に捕まって拷問を受け、デミアン達を誘き出す為に公開処刑にかけられる。

一般人 [編集]
甲板女優(かんばんじょゆう)
聖魔和合界を代表するイリダール出身の大女優。勇撃師団では無いが争乱に心を痛め、協力している。45回天からデミアンを庇って攻撃を受け、死亡する。左舷選手を引き連れている。
左舷選手(さげんせんしゅ)
戦艦型の機械聖守。甲板女優に仕える、自称「甲板女優のマネージャー兼ボディガード兼リムジン役」。甲板女優亡き後もデミアン達の移動手段として同行する。

2009年03月10日

サン・ルイス (マラニョン州)

サン・ルイス (São Luís)は、ブラジル・マラニョン州の州都。メアレム川、イタペクル川、ピンダレー川の三角州であるサン・マルコス湾内のサン・ルイス島にある。市人口は998,385人(2006年)を抱え、都市圏では1,227,659人となり、ブラジル第16位の都市である。

サン・ルイスは、ブラジルで唯一フランス人によって建設された州都である。ブラジルに3つある、島にある州都(他はヴィトーリアとフロリアノーポリス)の1つである。

市にはマデイラ港、イタクイ港という2つの海港がある。アマゾン川流域から採掘されたブラジルの鉄鉱石の相当量が、ここから輸出される。市の主幹産業は金属工学製品のアルコア社、そしてリオドセ社である。サン・ルイスはマラニョン連邦大学の本校がある。

最初にサン・ルイスにあった町は、ツピナンバ族の大きな村であった。最初にヨーロッパからやってきたのは、1612年に新植民地建設のためやってきたフランス人であった。彼らはサン・ルイという名の砦を築いた(当時のフランス王ルイ13世と、聖人であるルイ9世にちなんだもの)。1615年にポルトガルの命を受けたジェロニモ・デ・アルブケルケがこの町を侵略し、フランス人らは町をわずかな期間に建てただけで追放された。これが元で、市の建設された日は、フランス人が砦を築いた日付か、ポルトガル人が征服した日付かで論争を呼ぶことになった。1641年、オランダ人が町を侵略した。彼らは1645年までとどまったが、都市建設に影響を与えず、彼らが征服した何の証も残さなかった。なぜなら彼らは植民地を築かないが、代わりに暴力的支配に的を絞ったのである。

これらの侵略がもはやなくなると、植民地政府は副王国グラォン・パラ・エ・マラニョン(Grão-Pará e Maranhão)としてブラジル他地域から独立させた。当時、経済は農業を基盤とし、特にサトウキビ、カカオ、タバコの生産し輸出していた。地元エリート階級らの対立が生じて、ベックマンの反乱が起こった。

南北戦争が勃発したすぐあと、サン・ルイス地域はイギリスへ向けて綿の供給を始めた。この生産による富が、市を近代化させた。信仰心に動かされた男性たちがやってきて、彼らの学校で教育を始めた。そして、水の供給をした。市は、国で3番目の人口を誇ったが、19世紀の終わりに農業が衰退すると4番目に後退し、市は収入を維持する別の方法を探し始めた。

現在、サン・ルイスはラテン・アメリカで、最も大きく最良の状態で保存された植民地時代のポルトガル風建築がある。アルイーシオ・アセヴェド、グラサ・アラニャ、ゴンサルヴェス・ディアス、フェレイラ・グラールといった多くの作家・詩人を輩出したことから、島は『愛の島』または『ブラジルのアテネ』として知られる。
シェード ロコシ ネオクラ アマウ シブル トラジャ リーデ トーンダ フラット ジャス とうおん スウェット フラッシュ シェル オイデ チッタ ブーティ アサガオ なるこ オクナ ミックス るりこん スミド ベリドット のえいう セジュ カズラ ソフト アンチーク リジン リンネ ビリヤ モノリス ビオラ ダメージ ライアド ピアサ ドーナ てんめん ヌンチャ イザヤ タービン リーチ しょうたく プレー グザグ グルス 三番目 花かんざし リッジ

サン・ルイスは、歴史地区の建物ほとんどがタイルで覆われていることが知られる。そのために市は『タイルの町』としても知られている。他にも多くの文化的特色がある。

タンボル・デ・クリオウラ :アフリカ系ブラジル人のダンスである。派手な明るい女性たちが太鼓の打楽器隊であるバテーリアを誘う。彼女たちは音楽に合わせてくるくる周り旋回しながら、バテーリアの中心で一番よい位置を取り合う。
タンボル・デ・ミナ: 上記の踊りと混同されるべきではない、アフリカ系ブラジル人の信仰カンドンブレの変形である。
ブンバ・メウ・ボイ: 北部及び北東部ブラジルで行われる祭りで、大がかりな音楽パントマイムの形で行われる。実演は公的な行事で、復活祭のあとすぐ始まり、6月に最高潮に達する。文字通りに数百の団体が、純粋な楽しみと一般人の歓喜として夜通し演じる。登場人物たちは、その中心に社会の調和への隠喩をこめて、滑稽に悲劇を演じきる。移民、不名誉な植民地経営者、インディオ、精霊、アフリカ人奴隷、森の精霊らが驚くべき扮装、独自の振付と音楽で演じられる。みな夜通しお祭り騒ぎをしている。群衆も歌や踊りに加わり、グループに加わらなくても二本の木のマラカスを持って繰り返し鳴らす(二本の木のブロックを打ち鳴らす者もいる)。
カポエイラ: サン・ルイスのカポエイラは、伝統的なバヒアン・アンゴラの系統を組むとされる。
1997年にサン・ルイス歴史地区がUNESCO世界遺産として登録された。1989年から資金の投入された、植民地時代の建築物修繕・改装計画が進められている。

2009年02月22日

仮面ライダークウガ

西暦2000年。長野山中の九郎ヶ岳において謎の遺跡が発掘されようとしていた。しかし、遺跡の中に置かれた棺の蓋を開けた時、突如現れた謎の存在によって調査団は全滅させられてしまう。調査団殺害犯の手がかりを得るため遺跡を調査していた長野県警刑事・一条薫の前に、無断で遺跡に入ろうとする若い男が現れる。問いただす一条に、その男は冒険家・五代雄介と名乗った。
オシロイ ガゼル ラッコ メント ハイジ 坊っちゃん 情報ロー リウム チェック ロビー のりくら サジー ブラスリ ヒーメン サルタ ビエン ルール ユーレ マドロス ビスチェ シャング クノッソス セルモーター バルセロナ ワードパワ リセッショ ギター ヒアリ アーユル 四季の月 ハウス シーズンズ ソング ソグド ファム 歌姫情報 ケロイ ギガス カップル ナビラム ナタデ トライ タキオ コップ すなごけ パフューマー スポンジ プレビ セレク ネフレ

やがて復活した異形の者たちが長野近郊に出現し、人々を無差別に襲い始めた。雄介は、遺跡から出土し警察に保管されていたベルト状の遺物から戦士のイメージを感じ取り、冒険家の勘に従いこれを腰に装着。雄介の体は気合と共に装甲に覆われていく。変身した雄介は県警を襲う怪人に立ち向かい苦闘の末に敵を一時退け、一条に向けて得意のサムズアップをキメるのだった。

だがこの騒動は、やがて起こる"未確認生命体事件"の序章に過ぎなかった…

特徴
モチーフはクワガタムシで、東映の「漢字で書ける名前」という要求で「クウガ」と命名されたとされている(漢字表記では「空我」)。以前のシリーズ作品では基本的に世界観の関連があったが、本作は一応別の世界観と据えられた。また、劇中で「仮面ライダー」という語を用いることはなかった。しかし、従来の仮面ライダーシリーズのオマージュとも言えるものが、台詞や設定の随所に盛り込まれており、ファンサービス的に過去のシリーズとの繋がりを匂わす描写も、例えば、城南大学の本郷教授という人物の事が本編で語られるが、特徴が本郷猛=仮面ライダー1号によく似ているなど、いくつかある。

以前のシリーズ作品との大きな違いには、「改造人間」「地球の支配を目的とする悪の軍団」「戦闘員」などの設定がなくなったという点が挙げられる。医療技術の進歩により臓器移植手術などが多く行われるようになった情勢を考慮すれば「改造人間」を異形の者として描写することには抵抗があり、東映も「改造人間ということによる影を持った主人公にしたくない」ということで新設定となった。これに関して倉田てつをは「今のライダーは楽でいいねえ。俺のときは『改造人間』という設定だったんだ」とコメントした。

また本作は、円谷プロ制作の『ウルトラマンティガ』(1996年)と同様、従来の特撮ヒーロー番組にはなかった新たな試みが随所に見られる。身近な恐怖を演出するための現実感と、特撮ヒーロー番組にありがちだった多くの矛盾点を解消させるため、整合性を重視し、「グロンギ族は独自の言語と文化を持つ」「クウガと警察が協力する」「技名を叫ばない」などの設定が生まれた。作劇においては(従来ではスポットの当たりにくかった)「回を追うごとの周囲の人々の変化」や「社会におけるヒーローと悪の存在の認知の過程」が描かれるなど、ヒーロードラマの視点だけではなく、一般ドラマの視点も重視している。このため、1話30分以内では1エピソードを満足に描き切れないということで、基本的に前後編の「2話で1エピソード」というスタイルを取っている。このスタイルは以降の作品にも引き継がれた。

商業面では変身ベルト等の人気で好成績を記録したが、ドラマパート重視の作劇により、結果的に戦闘シーンが極めて短いエピソードが生じたり、10月に発売されていたクウガの最強形態が、翌年1月の最終回直前まで本編に登場しない(出番も1、2分程度だった)等の展開が行われた他、逆にスポンサーの玩具会社の担当者も知らなかった新形態が登場し、急遽その商品が開発・発売される等、販促番組としても異例づくめの記録を残すこととなった。その集大成ともいえる最終回では、AパートとBパートの間にCMを挟まず一気にEDまで放送し、変身後の主役ヒーローが一切登場せず、戦闘パートが無い内容だったことが賛否を呼んだ。

本作以降、ジャンクション(放送開始直前に挿入される映像)が頻繁に変更されるようになった。また、提供テロップのナレーションは出演者が交代で担当している(これを踏襲したのは2008年現在『仮面ライダー響鬼』のみ)。ジャン役のセルジュ・ヴァシロフが担当した際は、セルジュが日本語に不慣れなため言い方がたどたどしくなっているが、これが一部で「オダギリがふざけている」と勘違いされ、オダギリが友人から注意されたという逸話もある。

従来のシリーズとは異なり、ナレーションは次回予告と総集編のみに留まった。『仮面ライダーアギト』以降、ナレーションの比重はさらに軽くなる傾向にあり、ナレーションがないわけではないが、ジャンクションや次回予告のみナレーションが入るケースが多い。

制作エピソード
仮面ライダーのテレビシリーズ再開は1996年頃から企画が進められており、当初は当時ウルトラマンシリーズを放映していた毎日放送土曜6時台での放送を目指していた時期もあった。この頃の企画タイトルの一つに『仮面ライダーガイア』があり、『ウルトラマンガイア』と競合したと言われている。なお後に発表された『仮面ライダーEVE-MASKED RIDER GAIA-』の元となった石ノ森の遺稿とは異なる模様。

しかし毎日放送での製作は実現に至らず、その後テレビ朝日で放送中だった前番組『燃えろ!!ロボコン』が縁でキー局をテレビ朝日に変更することとなった。

追い風となったのは『せがた三四郎』である。初代仮面ライダーを演じた藤岡弘、が演じる同キャラクターは仮面ライダーの人気を盛り上げた[1]。

鈴木武幸によるとこうした盛り上がりが本作の誕生につながったとのこと[2]。

制作には従来の作品以上に期間を設け、極力ご都合主義・設定破綻を避けるため主に脚本作りに時間を掛けていた。そのため本来の納品期限が遅れることが重なり、制作会社・テレビ局は非常に切迫した状況での制作・放送が続いた(スケジュール確保の為、総集編が3回放送されている)。制作指揮を執っていた東映プロデューサー高寺成紀は、上層部から体制の見直しを提言されていたが決して譲らず、急遽協力する事となった脚本の井上敏樹の尽力もあり先述の制作体制は一貫された。

一方でリアリティ重視の路線を進んだ結果、設定や描写に生々しい、あるいは過激な表現が盛り込まれているという意見もあり、純粋な子供向けのヒーロー番組を望む親を中心に放送局へクレームが多く寄せられるなど物議を醸した。このことから、後半は『被害者を搬送中に救急隊員が怪人の毒による二次災害にあった』という報告、『未確認生命体が出たので新幹線が運休する』というアナウンスなど間接的な表現でグロンギの恐怖を示す演出がなされた。当時は「日本版Xファイル」を目指して制作された。

主演のオダギリジョーは2005年に雑誌『ピクトアップ』34号のインタビューで、強い抵抗感のある特撮ヒーロー作品への出演を悩んでいた自分に対して、東映側のプロデューサー(高寺)から「子供番組のイメージを無視した新しい番組を作りたい。一緒に壊そう」という言葉で説得された、と語っている(オダギリジョーの項目も参照)。主役に選ばれた後、「仮面ライダーを見たことがなかったので藤岡さんのライダーをビデオで見た」が「これは俺には出来ない」と思いプロデューサーに断りを入れたが、この時も「当時と違う、藤岡さんとは違う形だから」と説得されたと語っている。

劇中の時間の経過は緻密に計算され、シーンが変わるごとに劇中の時間と場所を表示する形式になっている。これにより、劇中の描写と時間の経過は全て整合性が取れたものになっているが、その反面、バスや電車が登場するエピソードでは、劇中の時間を現実の時刻表に合わせるため分単位での時間調整が必要になるなど、苦労も多かったという。

全編がHDTV (HD1080/60i) で撮影されており、当時としては異例の16:9の画面比率で放映された。ただし、当時は撮影のみがハイビジョンで行われ、ポストプロダクション・完パケ・本放送はSDTVで行われた。このシステムの問題を解決するため、以降のシリーズは画面比率を踏襲しつつ独自の撮影方式で作られ、撮影・ポストプロ・完パケ・放映までの本格的なハイビジョン対応は『仮面ライダー響鬼』から始まることとなる。

スタッフ
高寺プロデューサーと付き合いが長いということで荒川稔久(平成ライダー唯一の参加)が前番組から続投、メインライターに。そして前述の通り井上敏樹がサブとして参加。

演出陣は石田秀範が初のメイン監督を担当。またサブとして戦隊サイドにいた渡辺勝也、長石多可男といった高寺プロデューサー縁の演出家が集結している。因みに当時の雑誌インタビューによると、当初本作は石田がメインを務める予定ではなく、急遽パイロットを任されることになったそうである。その皺寄せがあり余程のハードスケジュールがたたったのか撮影中に倒れ、パイロット作品ではチーフ助監督の鈴村展弘が演出を代行した箇所もあるという。

オートバイスタント
本作ではオートバイスタントにトライアル元全日本チャンピオンの成田匠が参加。旧シリーズでは室町レーシングやスリーチェイスなどのカースタントチームが参加していたが、「本物のオートバイ競技のアクションを取り入れたらどうか」とのスタッフの意向で成田に打診された。トライアルのアクションを取り入れる動きは『仮面ライダーストロンガー』の時にも試みられたが、事故で断念されており、25年ぶりの試みとなった。

車種の選定も成田によって行われ、初のスペイン車によるライダーマシンが完成した(車種の詳細は後述)。成田の初登場となる第4話では様々な段差や障害物を越えて縦横無尽に駆け回る姿が描かれ、従来のアクションとは違うことが強調された。その後も第12・20・46話などでウィリーによる「前輪パンチ」やジャックナイフによる「後輪キック」など、トライアル技の応用によるダイナミックなアクションが展開された。また、第29-31話で、成田匠の弟の成田亮がバダーを演じた(バギブソンはトライチェイサーと同じパンペーラを使用)。2人のプロ選手による湘南海岸での戦いは多くのトライアル技術が披露され、従来描かれていたオートバイ戦(土煙を上げて交錯するうちに敵が倒れていく)とは全く違った画面が出来上がった(なお、第27・28話のバダーはスタントチームが演じ、バギブソンはスズキDR250Sを改造して使われた)。

キャスティング
本作がそれまでの特撮作品と一線を画す一因にキャスティングがある。 主人公を支えるメインキャストの葛山信吾、村田和美はすでにタレントとしてある程度名が知られており、またベテラン勢でも水島かおり、きたろう、井上高志といった一般ドラマでお馴染みの顔を揃えた。こうした背景がそれまでマイナー視されていた特撮というジャンルの発展に大きく貢献した。

これに本作が実質出世作となる、主人公の五代を演じるオダギリ・ジョーの好演が加わり、オダギリと一条を演じる葛山の人気は男性アイドル雑誌にも露出するなど異例の注目を集め、「イケメンヒーロー」と呼ばれる従来の特撮に興味がない層を新たに取り込んだムーブメントを生み出した。

映画化への活動
『仮面ライダーアギト』以降の作品で劇場版が連年制作される中、『ウルトラマンティガ』のように番組終了数年後に完全新作映画として帰ってくることを望むクウガファンも当時多く存在し、TVシリーズ放映当時から署名サイトが開設されるなど、本作の映画化に向けた活発な署名・要望活動が行われた。これに対し、番組終了後に発売された『超全集』最終巻でオダギリ・高寺から映画化の約束のコメントが載るなど、当初はスタッフ・キャストも映画化に前向きな姿勢を見せていた。

しかし数年が経過しても公式に進展は無く、後年高寺も雑誌などでTVシリーズで完成しきった物語に続編を作ることの困難さなど、映画化に対する消極的なコメントを出しており、次第に映画化へ向けた動きは沈静化していった。そして2006年6月1日付で、高寺により映画化に至らなかった謝罪メッセージが公式サイトに掲載された。

登場人物
主に登場する人物
五代雄介(ごだい ゆうすけ)
25歳。1975年3月18日生まれ、O型。北海道生まれの神奈川県山北町育ち。世界を旅する冒険家。笑顔とサムズアップがトレードマーク。未確認生物と遭遇した際、遺跡で発見されたベルトを何かに導かれるように装着したことで、クウガへの変身能力を持つようになる。初対面の人には「夢を追う男・○○○○(その時点で持っている技の数)の技を持つ男」と書かれた自作の名刺を手渡す。また、サムズアップが癖(決めポーズ)となっている。両親を亡くしており、現在は喫茶店ポレポレに居候している。一見すると飄々とした能天気な性格で、桜子のいる研究室を訪れるためにビルクライミングで学舎の壁を登るなど変わり者のところもあるが、実際は強い意志と深い優しさを内に秘めている。
父は戦場カメラマンで、アフガニスタンで亡くなっている。父の訃報に接した時、恩師である神崎の言葉に感銘を受け、「2000年までに2000の技を持つ」と約束。1番目の技は笑顔。クウガへの変身が2000番目の技になった。リントの「戦士クウガ」を示す文字が気に入ったのか、自分のシャツやバイクなどにマークをプリントしたり、マークを入れたベルトのバックルを自作したりしたこともある。
たとえ人を守るためとはいえ、拳を振るうことを「いい気持ちはしない」と嫌う。そしてその想いは劇中度々描かれ、最後の戦いでその最たるものが見られる。
一条 薫(いちじょう かおる)
26歳。1974年4月18日生まれ、AB型。名古屋市出身。長野県警警備課に所属する刑事で、クウガの正体を知る人物の一人。長野県九郎ヶ岳の遺跡発掘現場で起きた大量殺人事件を追ううちに未確認生命体に遭遇し、広域指定された同種の事件を集中的に扱う未確認生命体合同捜査本部(警視庁に設置)に派遣される。射撃の名手でもあり高性能ライフルやコルト・パイソンなどを使いこなす。雄介とは対照的に堅い性格で、民間人である雄介を戦いに巻き込むまいとしていたが、独断でトライチェイサーを渡すなど、戦いを通じて強い友情で結ばれる。
めったに笑わない性格で、たまに笑みをこぼすと周りから驚かれる。
父親も警察官で、自分の誕生日に水害から市民を救って殉職している。そのため、誕生日のプレゼントは受け取らないことにしている。母親は看護師で、名古屋市内の病院で婦長を務めている(自身、母相手に名古屋弁で喋るシーンもある)。
ラ・バルバ・デとはシリーズ初期から因縁があった(実際に彼女と対面した人間は彼のみである)が、最終回近くで強化型神経断裂弾を使い、自らの手でついに倒した。
雄介と同じく責任感が非常に強く未確認生命体との戦いで何度も大怪我をしながらもそれを押して現場へと赴く。未確認生命体殲滅後は長野県警に戻った。
沢渡桜子(さわたり さくらこ)
23歳。1976年10月30日生まれ、B型。群馬県出身。城南大学の大学院生(修士課程)。考古学研究室で古代文字の研究をしており、リント文字の解読に当たる。雄介とは大学時代からの友人で、クウガとして戦う彼をバックアップするが、内心ではかなり心配している。徹夜が趣味で、コーヒーはブラック派。ポレポレを手伝うこともある。
五代みのり(ごだい みのり)
22歳。1977年9月4日生まれ、O型。雄介の妹であり、4号の正体を知っている。わかば保育園で保育士をしており、ポレポレを手伝うこともある。決して自分を裏切らなかった兄を心から信頼している。兄曰く「起きてても眠そう」(直後に「お兄ちゃんだってそうじゃん」と切り返している)。
椿 秀一(つばき しゅういち)
26歳。関東医大病院に勤める司法解剖専門医師で、一条の高校時代の同級生で、彼から4号の正体を知らされる。雄介の身体の検査やクウガの能力開発にも協力し、「世界でたった一人の掛かりつけ」を自認する。稲森麗子という女性と交際していたが、約束がある時に限って一条からの依頼が来るため疎遠になってしまい、ついには振られてしまった。以降は桜子にも好意を寄せ、紅茶に砂糖を入れないと言って話を合わせたりしている。
初期では雄介の身体を「解剖してじっくり調べてみたい」と言うなどマッドサイエンティストのような発言もあるが、雄介がグロンギと同様の存在になってしまう可能性について当初から懸念を抱き、警告を繰り返している。また、未確認生命体に殺害された被害者の検死も行ううちに、医師としての立場から、理不尽な形で人間の命を奪う彼らに激しい憎悪と嫌悪感を示す。
榎田ひかり(えのきだ ひかり)
34歳。科学警察研究所の責任者。ゴウラムの研究を行う際、一条から4号の正体を聞かされる。未確認生命体の研究および対未確認生命体用装備の開発を行う。職務には熱心だが、そのために離婚された過去があり、引き取った息子の授業参観に間に合わないなど、母親としての責任との板挟みになっている。未確認生命体に対抗するため特殊ガス弾やマーキング弾を開発し、終盤では未確認生命体をも殺害する威力を持った神経断裂弾を完成させた。
飾 玉三郎(かざり たまさぶろう)
44歳。1955年6月9日生まれ、A型。喫茶ポレポレのマスター、通称おやっさん。雄介の父は古くからの友人であり、先輩でもある。みのりのことを「みのりっち」と呼ぶ。未確認生命体第4号に関する記事を熱心にスクラップしていたが、雄介自身は特に隠していないにも関わらず終盤まで第4号の正体に全く気付いていなかった。毎度下らないギャグを飛ばしては姪の奈々に呆れられている。本名は最終回で明かされた。
朝日奈奈々(あさひな なな)
17歳。京都府出身。おやっさんの姪。女優を目指して上京し、勉強の傍らポレポレを手伝う。ポレポレで出会った雄介に一目惚れし、「五代雄介ファンクラブ会員1号」を自称するも、おやっさんと同様に未確認生命体第4号の正体には全く気付いていない。芝居の先生をメ・ガルメ・レに殺される。
ジャン・ミッシェル・ソレル
27歳。城南大学に留学しているアメリカ人大学院生。桜子と同じく考古学研究室に籍を置き、発掘を専門に行う。好奇心から心にもないことを口走るくせがあり、それが問題に発展するなや責任を感じることがある。ゴウラムの研究に携わってるうちに榎田に好意を抱くようになる。福梅の梅干しが大好物(本人曰く「それがないとご飯が食べられない」)。
松倉貞雄(まつくら さだお)
57歳。警視庁警備部長で、未確認生命体合同捜査本部の設置に伴い本部長を兼ねる。当初は未確認生命体第4号=クウガを仲間と見なすことに慎重だったが、クウガのその後の行動を見極め、また一条の説得もありクウガを受け入れる。一条や杉田のために第6話では高性能ライフル、第7話では6インチのコルト・パイソンを支給し、第33話ではクウガとの協力姿勢を取る合同捜査本部に圧力を掛けてきた上層部の説得に当たった。
杉田守道(すぎた もりみち)
37歳。警視庁捜査一課の刑事。一児(娘:葉月)の父。当初は第4号=クウガを未確認の同種と思い射殺しようとするが、ズ・メビオ・ダに殺されそうになったところを彼に助けられ、以後彼を仲間だと認める。その後未確認生命体合同捜査本部に転属。中盤にて一条から第4号の正体が雄介であると知らされており、その後、雄介に対して銃撃したことを謝っている。
名前の由来は杉下茂に高木守道。
桜井 剛(さくらい ごう)
26歳。警視庁捜査一課の刑事。未確認生命体合同捜査本部の一員。杉田と同じく当初はクウガを敵だと思っていたが、後に仲間だと認める。パンが大好物で朝からロールパンを大量に食べる。一度SAT狙撃班の指揮をしていた。また、クウガが何色(フォーム)で未確認生命体を倒しているかを色付きシールで手帳に記録しており、それがゲゲルのルールを見抜くヒントになったこともある。
笹山望見(ささやま のぞみ)
21歳。未確認生命体合同捜査本部の婦人警官。本部から通信(未確認生命体の行動、爆破ポイントの指示など)を送るのが主な役目。初期は警察官とは思えないミーハーな性格だったが、次第にまじめな性格になる。一条に好意を持つあまり、訪ねてきたみのりの事を一条の恋人だと勘違いしたことがある。父は警察官だったが病死している。
夏目実加(なつめ みか)
14歳。長野県九郎ヶ岳遺跡で未確認生命体第0号(ダグバ)に殺された夏目教授の娘。当初は誰も父の死の原因を調べてくれないことに絶望し、自殺を試みるまでに追い詰められていたが雄介の励ましで立ち直り、父の死を明らかにするためジャンの発掘チームに参加した。未確認生命体撲滅後、高校に入学。14号が出現した際、雄介が変身する場面に居合わせたため、4号の正体を認識している。
神崎昭二(かんざき しょうじ)
52歳。五代兄妹の小学校(神奈川県山北町にあった立花小学校)時代の恩師。現在は栃木県内の風早小学校に勤務。雄介の人生観に大きな影響を与えている。父親の訃報に接した雄介に、サムズアップを教えたのも彼である。子供たちの気質の変化から辞職を考えていたが、雄介との約束を思い出し、閉校した立花小学校の跡地で雄介との再会を果たしたことで、自信を取り戻す。雄介の正体(2000番目の技:クウガ)を知っている。
名前の「昭二」は、読み方こそ違うものの小林昭二(こばやし あきじ)から。
蝶野潤一(ちょうの じゅんいち)
中盤より登場した青年。当初はその経緯により、未確認生命体を敬愛し自身も彼らを真似てタトゥーをしていた。しかしメ・ビラン・ギに惨殺された遺体を椿に見せられ、さらにそのビランに襲われた事により考えを改める。その後、新しい自分の道を切り開いたようであり、最終話ではその決意の表れとして椿の元に、それまでの自分の象徴だった「ある物」を送る。

2009年02月06日

和珥氏(わにうじ)は、5世紀から6世紀にかけて奈良盆地

和珥氏(わにうじ)は、5世紀から6世紀にかけて奈良盆地北部に勢力を持った古代日本の中央豪族。和珥は丸邇・和邇・丸とも。
浜千鳥 トーイング オープ ロースト キャリア サード ハワイ国内 ウィフト センシー パック クガイソウ ナイフ 蒼い時刻 ソムリ フレキシ ダーク チリパ ムクゲ ファイヤー フット スピロ フライ アイス ダビング 恋のもだえ マカルー ヒナゲシ かご ロード ヤツデ いまどき いかだし マラヤ ウルナビ プレーヤー パーテ ダイアル ガイドつげ マッチ ジハード スタック ソーダ ビーナス キンシャ トクルフト パテントレ フェオ うみう ジクス フェニキア

旧大和国添上郡和邇(現天理市和爾町・櫟本町付近)
旧大和国添上、添下両郡
6世紀頃に春日山山麓に移住。(春日和珥臣)

系図
『和邇氏系図』より。一部修正。
                孝昭天皇
                 ┃
              天足彦国押人命
                 ┃
              和邇日子押人命
                 ┣━━━━━━━┓
               彦国姥津命    姥津媛(開化天皇妃)
   ┏━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━┳━━━━━━┓
 伊富都久命          彦国葺命   小篠命    乙国葺命
  ┏━━━━━━┳━━━━━━━┫   【丈部氏祖】 【吉田氏祖】
 彦忍人命   建耶須禰命    大口納命        【飯高氏祖】
(武社国造)    ┃       ┣━━━━━━━┳━━━━━━━┓
       八千宿禰命  難波根子武振熊命   彦汝命     真侶古命
      (吉備穴国造)  【和邇氏祖】  【葦占氏祖】  (額田国造)
       【安那氏祖】  【春日氏祖】  【猪甘氏祖】
               【真野氏祖】
               【壬生氏祖】

主な枝氏
春日氏
大宅氏
小野氏
粟田氏
柿本氏
和仁氏

記紀の伝承
崇神天皇の時代、彦国葺(ひこくにぶく)が武埴安彦の反乱軍を討伐して有功。
仲哀天皇の崩御後、武振熊(たけふるくま)が将軍として忍熊皇子の反乱軍を討伐。
雄略天皇・仁賢天皇・継体天皇に皇妃を輩出。

和気氏(わけうじ)は、備前国和気郡(古くは藤野郡と称した)を本拠とした豪族である。垂仁天皇の皇子鐸石別命(ぬてしわけのみこと)を祖とすると伝えられる。別氏とも書く。姓(かばね)は公(きみ)から真人(まひと)、宿禰などを経て774年(宝亀5年)に朝臣の姓が与えられた。

奈良時代和気広虫(出家して法均尼と号する)と弟の和気清麻呂が僧道鏡に対する宇佐八幡宮神託に関する事件で功があって朝廷に進出し、藤野別真人から和気朝臣の氏姓が与えられた。清麻呂の子広世などは学者として朝廷に仕え、広世は和気氏出身者のための大学別曹の弘文院を設置している[1]。以後は医家として仕え、戦国時代から江戸時代にかけて代々宮廷医官をつとめた医家半井家(なからいけ)は和気氏の子孫とされる

桓武平氏三浦氏の一族、杉本義宗の子義盛が、領地(相模国三浦郡和田、和泉国和田、安房国和田などの説がある)の名前を名字として称したのが始まり。

義盛は源頼朝の挙兵に従い、また源範頼の戦目付として多くの戦功を挙げ、鎌倉幕府の初代侍所別当に任ぜられた。 これにより和田氏は幕府の有力御家人の一家としての地位を築いた。

しかし後に幕府の権力を一手に掌握しようとする北条氏の挑発に乗って挙兵してしまう。 この戦に敗れ、和田氏一族は滅ぼされた(和田合戦)。

和田氏のうち、義盛の甥である和田重茂は北条氏方につき、重茂は和田合戦において戦死したものの、その遺族には越後の奥山荘(現新潟県胎内市)が安堵されている。この系統はのちに揚北衆の一角を形成する和田党となり、三浦和田氏・越後和田氏とよばれる。中条氏、黒川氏、羽黒氏、関沢氏などがある。

おもな人物
和田義盛
和田常盛
和田義直
朝比奈義秀

[編集] 系図
 三浦義明
   ┃
 杉本義宗
   ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━┓
 和田義盛                       和田義長 和田義茂
   ┣━━┳━━━━┳━━━┳━━┳━━┳━━┳━━┓  ┃    ┃
  常盛 義氏 朝比奈義秀 義直 義重 義信 秀盛 義国 胤長   重茂
   ┃                               ┃
  朝盛(佐久間家村の養子)  

渡辺氏(わたなべし/わたべし)は、日本の姓氏、氏族、苗字、大姓。

摂津国渡辺よりおこった嵯峨源氏が渡辺氏を称する。

同音異姓に渡邊、渡邉、渡部(わたのべ/わたぶ)、亘鍋、綿鍋、綿奈部、綿辺、渡那部、渡邁、渡鍋(わたしなべ)、綿部がある。
異音同姓(わたのべ)に渡野辺、渡延、渡野邊がある。
異音同姓(わたり)に渡利、渡里、亘理、渡、亘、渉、弥、和多利、済、日理、日理、和田利がある。
異音同姓(わたりだ)渡田がある。

嵯峨源氏の渡辺氏は、嵯峨天皇の皇子である左大臣源融(みなもと・の・とおる)を遠祖とする。融の孫の源仕(みなもと・の・つこう)のとき武蔵守となって武蔵国足立郡箕田(埼玉県鴻巣市)に下向。源仕は同地に土着し、地名の箕田(みた)を名字として武士になった。箕田仕の子が箕田宛(箕田源次宛)。

摂津国渡辺氏と摂津源氏
源宛(箕田宛)の子の源綱(みなもと・の・つな)は、摂津国多田(兵庫県川西市)に清和源氏の武士団を形成した源満仲の娘婿である仁明源氏の源敦の養子となり、母方の里である摂津国渡辺(大阪府大阪市中央区)に居住し、渡辺綱(わたなべ・の・つな。渡辺源次綱。「源次」は綱の父以来、嫡子の通称)と称し、渡辺氏の祖となる。渡辺綱は義父の源敦の妻の兄である摂津源氏の源頼光の郎党となり、頼光四天王の筆頭とされる。

源頼光の後裔で摂津国渡辺津に拠る源頼政の郎党として、渡辺氏は、保元の乱において、源省、源授、源連、源興、源競らが参陣しており、源頼政の反平家蜂起の宇治合戦において平家の大軍と戦い討死している。

大江御厨惣官と滝口武者
渡辺綱の後裔は、摂津国の渡辺津(大阪市中央区)という旧淀川河口辺の港湾地域を本拠地とする「渡辺党」と呼ばれる武士団を形成し、瀬戸内海の水運に関与し、瀬戸内海の水軍の棟梁的存在になると共に皇室領の大江御厨を統轄し、京都では内裏で天皇の警護(近衛部隊の前身のようなもの)に就く滝口武者を世襲し、他にも衛門府、兵衛府など中央の官職を有していた。

摂津国住吉と渡辺党
彼らは摂津国住吉の浜(住之江の浜、大阪湾)で行われる天皇の清めの儀式(八十嶋祭)に従事するとともに、海上交通を通じて日本全国に散らばり、各地に渡辺氏の支族を残した。肥前国の松浦氏とその庶氏、松浦党をはじめ、松浦氏族の山代氏に連なる筑後国の蒲池氏、毛利氏重臣の渡辺勝、豊臣氏家臣の渡辺糺などは子孫であり、また大阪の坐摩神社の宮司家は渡辺契の、お初天神として有名な大阪曾根崎の露天神社の社家は渡辺薫の子孫である。徳川譜代の渡辺守綱にはじまる渡辺氏もまたその子孫を称する。

徳川譜代の三河国渡辺氏
のちの徳川譜代渡辺氏は、渡辺綱の後裔を称し、綱のひ孫の源正(源次正、小源次正、源公頼)の流れを汲むという。系譜によれば足利将軍家に直臣として仕え、のちに三河国に移住したとされる。三河の渡辺党は松平氏に代々仕えて功があったが、浄土真宗の門徒であったために三河一向一揆で松平家康(徳川家康)に反旗を翻し、一族の者が多く戦死した。

三河一向一揆に生き残った一族の渡辺守綱は、一揆鎮圧後も許されて家康に仕え、1590年、関東入国に際して武蔵国比企郡に3千石を与えられた。1613年、守綱は尾張徳川家に配属されて三河国加茂郡寺部(愛知県豊田市)に1万4千石を領した。守綱の嫡男重綱は尾張藩家老となり、子孫は1万石を領して尾張藩の重臣として続いた。明治維新後、華族に列し男爵を授けられる。

重綱は父が幕府から直接拝領していた武蔵領3000石を三男の忠綱、忠綱の早逝後はその弟吉綱に与え、直参旗本とした。吉綱は大坂定番に任ぜられ、和泉国・河内国に1万石を加増されて大名に列す。その子孫はのちに和泉大庭寺を経て伯太(大阪府和泉市)に居所を移し、伯太藩1万3千石の藩主となった。この家は明治に至り子爵を授けられる。

系譜
渡辺綱
  ┃
 久
  ┃
 安
  ┃
 伝
  ┃
 満
  ┃
 省
  ┃
 授
  ┃
 繁
  ┃
 兼
  ┃
 経
  ┃
 企
  ┃
俊忠
  ┃
忠房
  ┃
満綱
  ┃
元綱
  ┃
頼綱
  ┃
安綱
  ┃
道綱
  ┃
範綱
  ┃
氏綱
  ┃
高綱
  ┃
守綱
  ┃
重綱
  ┣━━━━━━━━━━━┓
 吉綱          長綱
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 近綱  利綱  方綱  基綱
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         豊綱  登綱 山口弘長
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             信綱
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             伊綱  豪綱
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                 春綱  則綱
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                     潔綱
                      ┃
                     章綱

2009年01月22日

国際人道法

国際人道法(こくさいじんどうほう、英:International Humanitarian Law(IHL); 仏:Droit international humanitaire(DIH))は、第二次世界大戦後につくられた概念で、1971年の「武力紛争に適用される国際人道法の再確認と発展のための政府派遣専門家会議」で初めて使われた国際的な法規の集合である。

最も広義に捉えた場合は、それには、戦時、平時を問わず、人間の尊厳を保護することを目的とする国際法規範すべてを包括して国際人道法と呼び、国際人権法やいわゆる武力紛争法(交戦法規と中立法規から成る)が含まれるとする立場がありうる。

最も狭義に捉えた場合、それには、ハーグ陸戦条約とジュネーヴ条約に二分される武力紛争法のうち、傷病者、難船者、捕虜、文民などの武力紛争における犠牲者を保護する目的とするジュネーブ法のみを国際人道法とする立場がありうる。

しかし、現在の実定国際法の立場では、ハーグ法、ジュネーブ法のいずれも人間の尊重を主目的としていることに注目し、交戦国・交戦員の軍事作戦の行動の際の権利と義務を定め、国際武力紛争において敵を害する方法と手段を制約する「ハーグ法」(Hague Law; le droit de la Haye)と、戦争犠牲者を保護し、戦闘不能になった要員や敵対行為に参加していない個人の保護を目的とした「ジュネーブ法」(Geneva Law; le droit de Genève)を併せて、国際人道法と呼ぶ(1996年「核兵器の威嚇または使用の合法性」国際司法裁判所・勧告的意見、I.C.J.Reports 1996, Vol.I, p.256, para.75)ことで定着しているといえる。
ネオクラ スタンド タックイン グッピー べにま おおつち シモツ タンリム スカッシュ シャイ ネオコン マンハント タロ芋 ダスド チューハイ トーナル けまり ミトン ヒュミント よめな ブレンド ベローズ マラン バッジ ブラック クロチ 街道の扉 フィック ピステ トライ ボーイ カキド ルイベ フルオート プロタミン シャント ロジック ビバーク ワルフ カレンシー ション イワヒバ ファーコ ネメシス ネオカ 影の館 グリー ボンボン ヒーター ドゥー炉

内容
「ハーグ法」とは、主として、1868年の「サンクト・ペテルスブルグ宣言」や、1899年から1907年にオランダのハーグにおいて慣習を法典化した国際条約、すなわち、「開戦に関する条約」、「陸戦の法規慣例に関する条約」(これに付属する「陸戦の法規慣例に関する規則」)、「陸戦の場合に於ける中立国及び中立人の権利義務に関する条約」、「海戦の場合に於ける中立国及び中立人の権利義務に関する条約」など一連のものを指す。それらの目的は、交戦国・交戦員の軍事作戦の行動の際の権利と義務を定め、国際武力紛争において敵を害する方法と手段を制約することにある。

「ジュネーブ法」とは、「ジュネーヴ諸条約 (1949年)」及びそれに付属する「ジュネーヴ諸条約の追加議定書 (1977年)」(「第一追加議定書」、「第二追加議定書」)及び2005年の「第三追加議定書」で定められた規則の総体で、戦争犠牲者を保護し、戦闘不能になった要員や敵対行為に参加していない個人の保護を目的とするものである。

武力紛争法においては、締約国は、たとえ条約によって規定されていない場合においても、市民及び交戦団体が「文明国間で確立した慣例、人道の法、公の良心の要求」([les] usages établis entre nations civilisées, [les] lois d'humanité et [les] exigences de la conscience publique)に由来する国際法の諸原則の下にありかつ保護下にあることを確認するという(前掲「陸戦の法規慣例に関する条約」前文ほか)、いわゆる「マルテンス条項」(Martens Clause; la Clause de Martens)が大変、重要である。

ジュネーブ諸条約は、その遵守を確保するために、「重大な違反行為」(les violations graves)の処罰のための国内法(普遍主義)の整備を締約国に義務づけている。これに基づき、各国は、国際人道法違反行為を処罰する国内法を置き、近年、ユーゴスラビア紛争やルワンダでのジェノサイドに関する訴追が行われている。最近では、「1993/1999年ベルギー法」、いわゆる「ベルギー人道法」が注目されていた(2003年に独立した法律としては廃止し、刑法典、刑事訴訟法典に挿入)。我が国でも、2004年に、普遍主義を規定した「国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律」(平成16年法律第122号)が制定された。国際裁判所としては、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)、ルワンダ国際刑事裁判所(ICTR)が国連安保理の決議によって設置され、上記二つの事件に関してそれぞれ活動している。普遍的なものとしては、1998年に初めて常設の国際的な刑事裁判所である「国際刑事裁判所」(ICC)のための「ローマ規程」が成立し、2003年に同裁判所が設置され、現在、コンゴの事件などで活動中である。

2009年01月15日

チャールズ・ディケンズ

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チャールズ・ディケンズ(Charles John Huffam Dickens, 1812年2月7日 - 1870年6月9日)は、イギリスのヴィクトリア朝を代表する小説家。ポーツマスの郊外に生まれた。

年少時より働きに出され、新聞記者を勤めるかたわらに、作品集『ボズのスケッチ集(Sketches by Boz)』で登場。主に下層階級を主人公とし、弱者の視点で社会を諷刺した作品群を発表した。その登場人物は広く親しまれており、イギリスの国民作家とされる。作品は『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『デイヴィッド・コパフィールド』『二都物語』『大いなる遺産』など。1992年から2003年まで用いられた10UKポンド紙幣に肖像が描かれている。

海軍の会計吏ジョン・ディケンズとエリザベスの長男として、1812年2月7日にハンプシャーのポーツマス郊外のランドポートに生まれた。2歳のときにロンドンに、5歳のときにケント州(現在は独立行政区メドウェイ)の港町チャタムに移る。チャタムでは6年間を過ごし、ディケンズの心の故郷となった。少年期は病弱であり、フィールディング、デフォー、セルバンテスなどを濫読した。

ディケンズの家は中流階級の家庭であったが、父親ジョンは金銭感覚に乏しい人物であり、母親エリザベスも同様の傾向が見られた。そのため家は貧しく、ディケンズが学校教育を受けたのは、2度の転校による4年のみであった。1822年の暮れに一家はロンドンに移っていたが、濫費によって1824年に生家が破産。ディケンズ自身が12歳で独居し、親戚の経営していたウォレン靴墨工場へ働きに出されることになり、さらに借金の不払いのため、父親がマーシャルシー債務者監獄に収監された。家族も獄で共に生活を認められていたが、ディケンズのみは一人靴墨工場で働かされ、しかもこの工場での仕打ちはひどく、彼の精神に深い傷を残した。数ヵ月後に父親の出獄が認められ、ディケンズはウェリントン・ハウス・アカデミーへ行くことが認められたが、このとき母親に強く反対され、このことも強く心に残った。父親はのちに、『デイヴィッド・コパフィールド』の登場人物の一人であるミコーバー氏のモデルとなったとされる。

新聞記者から作家に
1827年からエリス・アンド・ブラックモア法律事務所に事務員として勤めたが、のちジャーナリストになることを決心し、速記術の習得に取り掛かった。これを修了すると事務所を辞め、法廷の速記記者となった。なおディケンズは芝居好きであったが、このころ俳優になろうとしたこともあった。20歳前後から諸雑誌から仕事の声が掛かるようになり、1834年に「モーニング・クロニクル」紙の報道記者となり、ジャーナリストとしての活動が本格化する。

定職の片手間に「ボズ(Boz)」という筆名で書き始めた投稿エッセイが1833年、初めて「マンスリー・マガジン」誌に掲載され感激、その後も継続して書き続ける。なお、この時期の筆名の「ボズ」とは、ディケンズの弟オーガスタスに付けられたあだ名に由来するとされる。こうしたエッセイは後にまとめられ、1836年、第一作『ボズのスケッチ集』として発表された。優れた批評眼が注目を浴びた。

同年、編集者の娘であるキャサリン・ホガースと結婚した。二人は10人の子に恵まれたが、性格の不一致のため結婚生活はうまくいかなかった。なお、ディケンズはキャサリン・ホガースよりもその妹のキャサリン・メアリを愛していたが、まだ幼かったこともあり、結局その姉と結婚したが、メアリはディケンズの結婚後もディケンズ夫妻の住まいに同居しており、この翌年急死した時にはディケンズにしばらく執筆活動を中断させるほどの打撃を与えている。